2016年12月28日水曜日

上海の歴史、南市(上海でも古地図、古道), パート1

上海県城古地図東半分、1841年頃

上海県城古地図西半分

この古地図は南市、つまり、上海県城内の1841年頃(アヘン戦争の真っ最中)の古地図で、二本実線は水路で、一本点線がfoot pathだ。

西半分は現代地図と見比べると何となくはっきりしないが、東半分は割とはっきり分かる道が残っていて、それが下の現代地図の赤線だ。


拡大しないと分からないので、拡大して確認していただければと思うが、四牌樓から東西姚家に行く道、東街なんかは明瞭だ。これが分かると位置的に学院路が分かってくる。古地図には通りの名は未記載だが。同様に、光晵路が分かり、兪家と梅家街は古地図に記載アリだから分かって、すると橋家が分かる。

と、いうことで、今回は、上海でも古地図、古道ということで進めたい。

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まずは方浜からの四牌樓入口。このような門が残ってます。


八百屋さん。地べたに野菜置いてますが、こんな感じです、どこも。


多分、個人的に、でも商売として洋服のお直しなんかをやってるんだと思う。

これは商売だけど、上海の人はこうして家の軒先に椅子持ってきて座るの好きみたいです。よく見る。

でも注目してもらいたいのはこのおばちゃんたちの左。パイプに豚バラ、腸詰め干してます。上海のこの季節の風物詩。


このおっさんは料理中。この南市の古い住宅は、共同住宅なんですが、風呂、トイレ、流しは共同で、外にあります。

このおっさんの場合は、軒先が好きというわけではなく、これしか方法が無いのです。


四牌樓路から西姚家、東姚家に入りましたが、マンションがあるだけでつまらない道だったのでスルー。東街に入りました。ここは嘗ての白物家電中古品屋さん通りだったんですが、全部無くなっちゃいました。汚い通りだったし、偽物も多く販売されていたので、政府に整理されたんでしょう。

で、残っていたチャリ屋のおっさん。軒先&椅子&昼寝、王道を行ってます。


で、このおっさんの家の隣の隣。地震が無いから大丈夫なんだろうけど。。。


学院路に入りました。学校は無いのに、何故、学院路なのか。恐らく、ここに嘗て文廟があったからだと思ってます。因みにこの通りには嘗て県治もあり、南市のメインストリートだったんだと思う。

四牌樓、姚家、東街と来ましたが、写真でも分かると思いますが、パッと見、きれいなんですよね。以前来たときはもう汚かったんですが、通りに面した側は漆喰を塗り直してきれいになってます。

学院路もそうだったんですが、ふと、上を見上げると・・・・・


そんな学院路には似つかわしくない車で最後締めます。

続きは次回


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