2016年12月26日月曜日

上海の歴史、外灘

広東路を抜けると一気に視界が開ける。

私はいつもここで左折する。

顔を左に向けるとそこには朝日を浴びた近代建築群。外灘だ。




週末の朝、この光景を見ると自分が上海半分、東京半分の生活をしていて、上海でも自分のリズムで生活できていることを実感し満足する。

さて、外灘は建築様式を見るとイギリスっぽさ満点だが、意外にも、日本と深い関わりのある建物も少なくない。

まずはこの広東路と中山東路の角にあるのは日清汽船。三菱の御大将、岩崎弥太郎が作った会社だ。


次は台湾銀行。その名の通り台湾の銀行だが、台湾が嘗て日本の統治下にあった頃の建物だ。写真では見えづらいがその奥には三井、三菱、住友の三大財閥銀行も並んでいる。


横浜正金銀行。横浜の神奈川県立歴史博物館は元横浜正金銀行。その上海支店だ。


横浜正金銀行の北隣、北京路と中山東路の角という当時の一丁目一番地に陣取るのは、嘗てのジャーデン·マセソン商会。この会社の長崎代理店がグラバー商会だ。ジャーデンが無かったら、維新は無かった。


さて、この辺りで顔を右に向けよう。黄浦江の対岸、浦東地区には打って変わって新しい高層建築が聳え立つ。栓抜きのような形をしているのは森ビルで、その右、建築中(この写真を撮った時は。今はすっかり完成している。)の世界一の高さを誇るビルのエレベータは日立だ。こちらにも日本の影が。


前に進もう。川風が気持ち良い。黄浦江の蘇州河との合流点の先は日本郵船。ここは嘗ての長崎⇔上海航路の発着場。芥川龍之介もここで上海に上陸した。


日本関係はひとまずこれでお終い。

左に目を転ずればGood View. ブロードウェイマンション、外白渡橋、英国領事館、上海郵政ビルだ。


私はいつもここで折り返す。体も温まってきた。汗が噴き出す。

南へ

共同租界とフランス租界の間には共同施設、気象台がある。


ここから南はフランス租界だ。入っていきなりこの建築。アールデコの極み。初めて見た時は、ごく最近の建築とばかり思っていた。しかし、旧イギリス租界(共同租界)との違いに驚く。正に、建築博覧会だ。


フランス租界の終わりは東門路。ここから先は華界。1200年頃から貿易港として栄えた中心はここ十六舗だったが、今は影も形も無い。


さて、広東路まで戻ってアパートに帰ろう。ちょうど一時間。これから帰って洗濯して買い物行って晩飯作りです。

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