2017年6月4日日曜日

武田信玄小田原攻め、先衆ルート

甲陽軍鑑によると、

“先衆は当麻、ニノ手は磯部、信玄旗本は新戸、跡備は座間で相模川を渡河した。”

という。

信玄旗本と跡備は鎌倉街道山ノ道、現代の町田街道に進路を取る東に大回りしたルートとなる。これは前々回ご紹介した。

ニノ手は御殿峠をそのまま南下し大山道、現代のR129を行き、作ノ口で県道508に南東に折れ、田尻からは県道46号を行って、磯部に至る。これは前回ご紹介した。

今回は、田尻で県道46号に行かず、そのまま県道508号を行く先衆ルートをご紹介したいと思う。


※今回は青ライン

地図をご覧いただきたい。国道、県道と重なる部分も多く、趣には欠けそうな感がある。今回のハイライトは、時宗無量光寺だろう。

無量光寺には面白い縁起がある。

サイトによれば、1261年、一遍諸国遊行の旅の途中、相模川の向こうにある依知の薬師堂に一夜の宿をとり、一心に念佛を唱えていたところ、東の空が急に光り輝き、妙見菩薩が姿を現され、お告げを得、相模川を渡り、東北方の亀形の丘に登ってみると、そこに妙見菩薩の小さなほこらを発見、上人はここに草庵(粗末な住まい)を結び金光院と名付けたということだが、一遍が無量光寺開山時に勧請したとされる三嶋神社縁起によれば、承久の乱で敗れて奥州に配流された河野通信の一子がこの地に隠れ住み、その縁から通信の孫の一遍が無量光寺を開いたという話もある。

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無量光寺山門
明治期の火事により焼失したままの本堂跡に一遍が立つ
仮本堂には河野氏の家紋が
件の三嶋神社、無量光寺のある尾根から川を挟んだ尾根に立つ。
三嶋神社由緒

無量光寺から相模川は直ぐ。先衆はここで相模川を渡河した。

昭和橋上から大山を望む

橋を渡ると直ぐ、依知神社。なんと、平将門所縁。

937年、再建。だからその前からあった。
源頼家寄進のイチョウ

この後はR129を着かず離れずの住宅街の中を行く旧道となり、そこかしこに庚申塔などあるが、フォトジェニックなものはなく、写真には撮らず。程無く、本厚木駅に到着し、輪行で帰宅した。

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