2018年2月18日日曜日

武相国境道、その3, 鎌倉街道上道沿いの産鉄地名

武相国境道シリーズ、第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾はそのまま武相国境道を行かず、産鉄地名の並び方に何か規則性が感じられる、だから背景がありそうに思える所として、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道に沿って展開する産鉄地名を巡りました。恩田川支流の熊ヶ谷川の源流部に当たる横浜市青葉区奈良の鍛冶谷戸では、赤い水酸化鉄を見られ、ここが嘗て産鉄の現場だったのだと実感出来ました。

今回は、町田駅からの武相国境道の続きを行こうと考えてたんですが、事前机上シミュレーションしていたところ、やはり、気になる産鉄地名の並びを発見、今回もまた武相国境道の寄り道シリーズで、鎌倉街道沿いの産鉄地名を巡ることにしました。


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鶴川駅まで輪行。金井入口から金井に入ります。"金井"はエリアが広い。どの辺りが中心地だったのか、どの辺りで産鉄してたのか。

現代地図と古地図を見るとどうやら金井村の代官屋敷辺りが中心地で産鉄エリアでもあったようです。

明治13年古地図、歴史的農業環境閲覧システムより

金井村代官屋敷付近には、笹胡、笹胡坂があります。"笹"は、砂鉄を現す"サ"を重ねたもの。この尾根道のTopから笹胡、笹胡坂を眼下に大山方面の眺望はこうなっていました。

ちょうど写真中央辺りが笹胡、笹胡坂

少し離れた所にあるのは、"湯袋"。"湯"は溶かした鉄、"袋"は"吹く"です。

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木倉川が作った谷に下り、八幡神社のある尾根へ再び上り、本町田に向かいます。鎌倉時代の宿場町ですが、今はその面影は一切ありませんでした。

が、この先で恩田川を渡るんですが、恩田川と並行に走る支流がすごかった。



赤いです。水酸化鉄です。

その後、菅原神社から鎌倉街道を折り返し再び北上します。

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いつ来ても本当に美しい薬師池公園です。この辺りから非常に"鉄臭"が濃くなっていきます。

野津田薬師堂
薬師堂がある薬師池公園の谷戸はこのように非常に急で深い谷になっていて、水酸化鉄を多く含む水源だったのかもしれない。

直ぐ東の尾根から鶴見川にかけては、"袋"という字。

鶴見川に架かる"袋"橋

鶴見川を渡って上の原グラウンドの辺り、ここは"カナクソ"。カナクソは"鉄滓"で、砂鉄から鉄分を取り出す際に同時に生成される不純物金属。恐らく鉄滓を捨てた所か。

上の原グラウンドは御覧の通りの広大な谷戸にある。

軍事戦略鎌倉道を更に北上、"湯"船はどの辺りかはっきりしませんでしたが、小野路川とその支流が流れていました。川は赤くなかったですが。

塞ノ神には寄り忘れ、次は金子田です。

小野路川が流れるこの辺り、駐車場の辺りが金子田。

更に北上を続ければ、別所、東光寺があるエリアへと続きます。

右手に霊峰大山、千手観音、真ん中の街並みが別所です。

こうしてここから別所を眺めると、坂上田村麻呂率いるヤマト政権に敗れ、奴隷として遠いこの地に強制的に連れてこられ、過酷な産鉄作業に従事した奥州俘囚が、薬師さんと大山に見守られながら生きていたのがせめてもの救いであってほしいと思いました。

以上です。

2018年2月6日火曜日

武相国境道、その2, 武蔵国・南多摩郡と都築郡の郡境道沿いの産鉄地名

前回から始まったこのシリーズ。前回は触れませんでしたが、武相国境道の周辺には、産鉄に関連する地名が多数認められるとのことです。

まずは、古い地名も含め調べ上げた結果をご紹介したいと思います。尚、谷戸めぐりというサイトを参考にさせていただきました。いつも楽しく拝見させて頂いております。


黒線が武相国境道です。自転車で行く時のルートでもあるので、実際の国境道から外れる場合もありますが、ほぼ、トレースしています。

マーカーが、産鉄地名です。が、紫は無視してください。やはり自転車用です。赤と青がありますが、両方とも、産鉄地名です。

今回調べたのは、武相国境道に沿った、町田市、横浜市だけだったので、他と比べて多いのかどうかは分かりませんが、とにもかくにも、これだけの産鉄地名があったということは間違いが無いわけです。

武相国境道を、ただ、行くよりは、この、"たたらの道"というテーマを持った方がより楽しめそうなんですが、自転車でここをExploreすることを考えると、全部は行ってられないわけです。今行っても、ただの交差点になっていたり、公園になっていたり、住宅街になっているだけということもあります。って言うか、殆どはそうでしょう。

と、いうことで、地図を眺めていたわけです、どこか行くべきところ、行けるところは無いか、と。そうしたところ、あることに気付きました。産鉄地名が有るエリア、無いエリアがあるわけですが、有るエリアでは、地名がきれいに並んでるような気がしたんです。


どうでしょう、そんな感じがしませんか?

で、草戸峠から順番にチェックしていったら、最初に気付いたのはここでした。


地形図で見た所、更に面白いことに気付きました。


きれいに尾根に乗っていたんです。よく見たら境界線もあり、ここは、南多摩郡・都築郡の郡境道(今の町田市・横浜市市境道)だったんです。

武相国境道は東京湾と相模湾の分水嶺だから尾根道。その武相国境道周辺に産鉄地名が多い。その支尾根となる南多摩郡・都築郡郡境道に沿って産鉄地名が並んでいた、そういうことになります。

俄然、モチベーションが上がってきました。今回は、武相国境道から南多摩郡・都築郡郡境道をExplorerしました。

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町田駅まで輪行。町田駅から武相国境道、現町田街道を行きます。途中、金森の交差点。ここも産鉄地名ですが、ただの交差点でフォトジェニックじゃないのでスルー。でもこの辺りには金山神社が二つもあり、鉄分が高いです。

町田市辻で246を左折、ここから南多摩郡・都築郡郡境道です。まずは、アスレチックコースの裏手にある、"大袋(”袋”は、"吹く"から来ている。) "に行きましたが、ここはアスレチックの私有地となっていて進入不可。退散します。

御覧の通りのアスレチックフィールド。双体道祖神があるが、古地図を見ると写真に写る池から、更にその先に見える大山道の尾根に上がる道があり、集落はこの写真に見える風景の背後に続いているから、ここは集落外と集落の境界に当たり、だからここに置いたのだと思う。

住宅街の武相国境道を行きます。つくし野駅の辺りで線路を越える為に迂回し、恩田川に出て、"東光寺跡(西方の阿弥陀如来に対し、薬師如来は東方の教主であり、薬師如来は瑠璃光如来とも称えられたので、"東"方の瑠璃"光"で"東光"の代名を持った。奥羽俘囚の長であった藤原基衡建立の毛越寺吉祥堂の本尊は薬師如来。慈覚大師円仁は、俘囚教化の為、東国を巡錫して仏堂を建立したが、その時、毛越寺と同じ薬師如来を本尊とする寺を開山した。だから、俘囚移配地には東光寺がある。俘囚は、産鉄の為、東国に移配された。だから東光寺は産鉄地名。) ", "吹上("吹く"から) "と行きますが、フォトジェニックじゃないのでスルー。先を行きます。道はやがてダートとなり、西側は緑地で崖。雪融けでグチャグチャの中、暫く行くとこの緑地は西側が大きく開けます。

左のピークはお馴染み大山です。今日は富士山は見えませんね。それにしてもここから眺めると町田街道も尾根だったということが良く分かります。ビルが並んでるのが町田街道ですが、ここ、南多摩郡・都築郡郡境道尾根から見ると、一旦下がって又上がってますから。

この緑地は山吹緑地というのですが、由来は、山村と吹上の両方に跨るから。つまりここも"吹上"なんですね。フォトジェニックな"吹上"が撮れました。

(ようやく良いランチ場を見つけられたということでここでランチです。握り飯を食べていると下から風が吹き上げてきます。"吹上"は、製鉄の際に火力を強める為に風を吹く事からきているのではなく、この風のことかとも思いました。)

先に進みます。

ここが尾根道であることが否が応でも分かる谷戸の風景
こういう快適なところももちろんあります。

で、辿り着いたのは"鍛冶谷戸(これはそのものズバリ、"鍛冶") "です。ここは熊ヶ谷川の源流部で、公園になっていて、源流部まで行くことができました。で、ここが良かった。そこでの写真です。

源流の一つ。写真中央黒ずんだところが水が滲み出しているところ。鉄ですね。
幾つも源流があるのだがここもその一つ。ちょうど、源流最初の一滴が落ちるところを取ったのだが分かるかな?! 周辺の土が赤いですね。鉄です。
だから川もこのように赤い。鉄です。

794年に、坂上田村麻呂に敗れ、関東に連れてこられた俘囚たち。彼らが担ったたたら製鉄の面影が、1200年の時を超えて、感じられました。

ここで作ってたんですね、鉄を。

この後は、"大田平(だいたたら←たたら)"ですが、マンションになっていましたのでスルー。これにてExplorerを完了しました。

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地図を見ると、今回のように、歴史も自転車も楽しめるところはそうそう無さそうですが、何とか、次回以降も楽しみたいと思います。